2016/07/25 10:00

僕は高校、大学と陸上部だったんだけど

短距離が『やりたくなかった』のです


なぜなら

『下手くそだから』


最初に監督に走りを見せた時に


『下手くそ!うさぎかお前は!たこ!』



うさぎ?





たこ?




いや、ぼくアルパカらしいんす。。。



というと


『う!さ!ぎ!こらぁ!』


と2分くらい説明されました




監督が言うには



前に進まなきゃいけないのに






うさぎのように

斜め上に力が向いてる






これが『下手』の理由




しかも

無駄が多いのに

一生懸命速く走ろうとするから

身体に『痛み』が出やすい






じゃぁ、もっとこうしたらいいかな

と、あれこれしてるうちに

走るのが好きになって

短距離が好きになりました




これは、僕だけの体験談ではなくて

スポーツコーチはほぼ全員同じことを言います


『下手な奴はエネルギーロスが激しいから、余計疲れるし、スピードも遅い』

『うまい奴は、スピードが早いくせに体は全然疲れない、なぜならロスがないから』



たぶん、この話は

スポーツ選手だけじゃなく

仕事をするみんなにも通じる話だと思う



自転車もそう

下手な人は、ゆっくりこいじゃうから、スピードに乗れず、倒れたり、まっすぐ進まない








僕は『好き・嫌い』は感情の問題だから

好きな方を選んだらいい(嫌いが好きなら、嫌いでもいい)と思うのだけれど



『やりたくない』は嫌いとは違う

ただの『言い訳』だと思ってます



『やりたくない』原因は

先ほどの話のように

『下手だから』が多いです



だったら

『うまくやる方法を考えればいいだけ』の話



なのに、どうしてか

『やりたくないことをやるのは、あかん』

となって時期早々に投げ出す人ばかり



それは

やらない自分を正当化するための言い訳にしかすぎず

もっとやり方を模索すれば、できるはずなのに




たとえば

ブログを書くのはやりたくない

っていう人


ブログが嫌い

ならいいんだけど

やりたくない

のなら、さっきの話のように

『うまくやれる方法を探せばいい』だけの話


たとえば

アメブロっていうフォーマットを使うのが下手なだけかもしれないし

(だったら、違うフォーマットを使う)


書き方が下手くそなのかもしれないし

(方法にとらわれず、適当に書いちゃえばいい、とか)



下手を自覚せずにやっちゃうと

陸上の話のように

力のロスがあったり

痛みを伴ったりしがち




時期早々すぎる



ちょっと考えてみたら

上手にできるやり方が絶対にある



ちょっとしたズレは

今この瞬間は、ミクロ単位のズレかもしれないけど

未来的には、大きなズレになって取り戻せなくなる




考えることを放棄しないでね



だって

やりたくない

って言い訳をしたせいで

後悔したくないじゃない


やってみて

『あ、これは嫌い』

ってなったら

やらなくてもいいかもしれないけど


やってもいないのに

あーだ、こーだいうのは

少し早すぎるよ







どこからか

タコ!

の声が聞こえてきそうですので


今日はたこ焼きを食べます



『あんでぃ、素敵なことに気づかせてくれてありがとう』

と、東大宮方面に一礼してから、今日1日を過ごしてください


僕は今日、茹でタコのように後悔なく、気持ちよく1日を過ごします